将棋上達法について
スマホは便利ですね。
ここ数年とかに限った話ではないですが、道を歩けば、イヤホンで音楽を聴いたり歩きスマホをしたりしている人に出合わないほうが珍しいです。今日私は電車の中で本を読んでいる人を見かけたのですが、本当に珍しいものを見た気がしました。
そうした現代の日本がどうこうみたいな話は置いといて、将棋の話。
強くなるには本を読んだりネットを見たりして情報を仕入れるのも大事だけど、(1)自分で(将棋を)考える時間、そして、(2)自分のなかでその情報が消化できているか、自分がいま何を考え、悩んでいるかを思いやる時間も大事だよということを書いておきたいと思いました。具体的には、スマホの電源を切って自分だけの時間を持とうということです。
これでもう気づいてしまった人は、もうこの続きを読まなくていいでしょう。
いくつかの言説を引用します。
私は、今の時代は、いろいろなことが便利になり、近道が非常に増えた時代だと思っている。何かをやろうと思ったときに、さまざまな情報があり、安易な道、やさしい道が目の前に数多くある。楽に進める環境も充実している。昔は、遠い、一本の道しかなかった。そのため、選択の余地なくその道を歩んだけれど、今は近道が他にたくさんできている。わざわざ一番遠い道を選んで行くのは損だという思いにかられる。その横では近道で通り過ぎてゆく人がたくさんいるのだから自分自身で、「何をやっているのだ」と思うこともあるだろう。逆に、昔よりも選択が難しい時代なのかもしれない。しかし、遠回りをすると目標に到達するのに時間はかかるだろうが、歩みの過程で思わぬ発見や出会いがあったりする。将棋でも、直接対局に関係ないように思えることが、あとになってプラスになったということはいろいろある。対局で、道の場面に遭遇したときには、直接的な知識や経験以外のものが役に立ったりするのだ。
羽生善治『決断力』(角川新書、p155-156)
羽生九段が著作やインタビューの中で、たびたび「意図的に頭を空っぽにする時間を設けている」という趣旨のことをおっしゃっていることも有名ですね。羽生先生に関しては私は以下のツイートが好きです。
研究中の駒音、
— 🐰羽生理恵🐩🐶🐕 (@usaginoheso) September 29, 2016
木の温もりの駒の音はとても綺麗。
澄んでいます。玲瓏たる駒音。 pic.twitter.com/CjE6bVFpjG
話は変わって、とあるアマ強豪の方が将棋ブログにおいて、上達法について書かれていたのを目にしました。以来、その文面は悩んだ時に何度も読み返すようになりました。ツイッターで何度か紹介しているので知っている方も多いでしょう。
読みの技法 番外編 県代表クラスになる為のある一線 | 将棋・序盤のStrategy ~ 矢倉 角換わり 横歩取り 相掛かり 中飛車 四間飛車 三間飛車 向かい飛車 相振り飛車 ~
私のお気に入りのフレーズはこちらです。長くなりますがお付き合いください。
結局、自分の何がいけなかったかというと、
根拠の無いものに振り回されすぎていた、
っていうのが原因だったんですね。根拠の無いもの、っていうのは、
「定跡書に書いてあったから」とか「プロが指したから」という、
根拠がありそうでいて、実は自分の考えが全く入っていないものだったりします。そうじゃなくても、
「根拠の無い自信」とか「根拠の無い自分像」、「根拠の無い将棋像」
こういったものに縛られてしまう事って無いですかね?勉強というのは、将棋そのものの知識を得ると同時に、
自分を知るための道具だったのだと、収束する渦の世界の中で気付いたんですね。
4段に達するために必要だったのは、知識ではなく自立だったという事です。兎角、人間というのは実体の無いものに振り回されるものだと思います。
最近は情報が多すぎて、分かったつもりになってしまう事も多いでしょう。
そこに「虚像の自分」が出来やすく、迷いやすいのではないかと思います。
長い間「上達が出来ない」とお悩みの方には、
自分に素直になってはいかがですか、と言いたい。「やっぱり詰将棋が必要なのかなぁ?」と頭によぎれば詰将棋を解けば良い。
「本当に定跡書の内容を理解してるのかなぁ?」と思えば検証すれば良い。
「実戦不足かなぁ」と思えば実戦を指す機会を多くすれば良い。心が欲しているにもかかわらず、やらないのが人間である事を私は知っています。
でも、つまらない事を考えず、「本当の自分」が欲している事を素直に実行したら良いんです。
つま先立ちしたり、自分に嘘をついたりしても、「本当の自分」が悲しむだけじゃないですか?
こうやって「本当の自分」を大事にする考えをしていくと、
悩みや情報が大量にあっても、結局削ぎ落とされていくものだと分かってきます。
勉強をしている段階では、要らない悩みや情報も沢山まとわりついているのですが、
「本当の自分」を大事にする事で、洗練する事が出来るからです。
(洗練されているだけで、悩みが消える事は無いんですけどね)ですから、周りの人間が出来る事というのは、
出来るだけ確かな情報や知識、環境を与えるところまでだと思うのです。
「本当の自分」を大事に出来るのは、結局自分自身に他ならないからです。
また最近では、とある講師仲間が言ってた言葉にも感心しました。
彼は近くに右四間飛車対策に関する講座を受け持つことになっていたのですが、「最近はずっと右四間(の局面)を見つめています」とのことだったのです。
やはり局面をパソコンに打ち込んでピッポッパ、ではないんですね。強い人ほど将棋と向き合っているという印象を抱きます。そして本当に強い人ほど、1対1で(つまり他者の意見を介さず)将棋と向き合うことを苦としていないので、そうした営みが努力として語られることが極めて少ないのではないでしょうか。
私自身は、これまでそれほど将棋と向き合ってこなかったほうだと思います。唯一、詰将棋は自分なりに取り組んできました(好きだから)。しかし最近はそれも、「それが苦しいと思うならば無理に向き合う必要もないのかな」と思うのです。向き合うのも才能だし、努力するのも才能という面もあるし(だからといって努力を放棄するのはまずい)。
個人的に、コツは瞑想なりなんなり、自分だけの空間にいる時間を1日5分だけでも持つことかなと思います。それも難しければ、毎日シャワーを浴びている時間にちょっと将棋のことを考えるとか(なにも将棋に限った話ではないですが)。
それから、最近は私はできていませんが、将棋プレミアムやAbema、ニコ生でプロの対局の映像を見るのも好きです。これは録画でもいいのですが、昼食休憩以降の午後はとくに難しい局面を一人で考えている人が二人いるという空間になるので、おすすめです。
答えがあるかもわからない局面をうんうんうなって考えるという意味では、道場に行って他人の将棋を検討するのもいいかもしれません。自分より低級の人や同じくらいの棋友がいるなら自分の持っている知識を論理的に順序立てて説明するのもいい勉強法です。
とまあ偉そうにつらつら書いてきたので、落ちをいいます。
それとは別に、強い人はすごい量の努力をしています笑
自分の実体験に基づいた勉強法ですが、まず小学生の頃には、平日は学校があるので5時間ほど、休日は7~8時間将棋に携わります。自分の場合は将棋道場に通うのがメインでした。
中学生になると体力も付いてくるので毎日7~8時間。道場に通う時間は変わらず、増えた分はネット将棋で対局していました。対局数は中学時代で一日10局以上、30局未満で指していました。また詰将棋は解かず、棋譜並べは一日2~3局。当時は今のようなネット環境もなくアナログ的に盤に並べていました。
三段リーグを戦った高校時代には毎日10時間前後の勉強。基本的な勉強内容は変わっていません。詰将棋はやらず、棋譜並べは2~3局。メインは実戦で、やはり10局以上、30局未満。ただし、持ち時間は、日々の勉強時間が増えた分だけ多くなったと思います。
以上が自信を持って紹介できる勉強法です。これをやれば絶対プロ棋士になれます。
【3/7追記】
引用RTで換言いただいで思い出したのですが、棋書を買うときにも、「この本くらいは読んでおかなきゃ」といった自分の理想像に導かれるより、「この間、道場で石田流のあの攻め方に負けて悔しかったからその対策を知りたい」みたいに具体的かつ需要優先な手順で手に入れるといいと思いますよ。