横歩たのしい横歩取り
今回は横歩取り戦法が経験してきた歴史を簡単に説明します。
(画像は本文とは無関係です)
横歩取りを知らない方のために、初手から手順を見ていきましょう。細かい手順の解説は省略します。
【基本図までの手順】
▲76歩△34歩▲26歩△84歩
▲25歩△85歩▲78金△32金(基本図)
【基本図】
大山・升田時代の棋譜を並べる限り、先手の初手76歩に対しては後手は2手目に84歩と突いて角換わりや矢倉にするのがひとつの時代の要請だったように読み取れます。
あるいは後手が振り飛車党ならば34歩とし、その後44歩としてノーマル振り飛車を目指すのがよく見受けられます。いわゆる「振り飛車は受け身だから後手がやるべき戦法」という常識があった時代ですね。
そのことを踏まえると、2手目に34歩と突きながら84歩と居飛車にする横歩取り戦法は、どこか力戦調の含みがあったのではないでしょうか。
【昭和前期】
基本図から24歩同歩同飛に23歩が多く指されていました。これに対して34飛と取るのが「横歩取り」の眼目の手です。「横歩3年の患い」と言いますが、果たして先手の飛車は無事に生還できるでしょうか。
上図以下、88角成同銀25角(次図)
両取りがかかりましたがこで32飛成!と切り飛ばして38銀と手を戻すのがよく知られた定跡で、局面自体は互角。図では36飛もあり、現在でも指されうる形です(菅井中川戦など)。
【昭和後期】
先の形は横歩を取るかどうか、またその後飛車を切るかどうかに先手の選択権があり、後手やや不満の感があります。そんな中、内藤國雄九段の構想が横歩取りを新時代に導きました。
【 基本図からの指し手】
24歩同歩同飛86歩
同歩同飛34飛33角
一歩損をしましたが、慌てず騒がず33角が新しい手。先手からの22角成を防ぎます。これで先手の飛車が26の地点に戻るのにあと2手かかるので歩損しても指せるという大局観。この33角戦法は今日でも常識の一手となっています。
この構想が披露されたのが1969年の第15期棋聖戦、▲中原誠名人との対局でした。横歩取り好きの間ではこの将棋は今でも語り草になっています(たぶん)。少なくとも、内藤國雄名局集(筑摩書房)には収録されていますよ。
中原ー内藤戦
羽生竜王が七冠を達成したのもこの時代式の横歩取り戦法でしたね。
時代は下ってその後、1997年に中座真七段が、後手の飛車を84でなく85飛と引くいわゆる85飛戦法を披露して横歩取りにおける後手勝率に貢献しました。対戦相手の松本佳介六段が、後手の手が滑ったと思ったとか思わなかったとか…笑
(松本ー中座、1997年8月、順位戦)
85飛戦法も含めた33角戦法は当然優秀な構想ですが、もちろん勝率としては50%前後の互角の争いです。このへんは印象論ですが、さすがに後手60%までは行かないでしょう。
とはいえもとより先手に押されがちな後手番でここまで互角の戦いができるのは望外の僥倖(佐藤天彦名人は先手なら角換わり、後手なら横歩取りという作戦で一時代を築きました)。先手も対策に乗り出します。
【青野流の時代】
85飛戦法への対策として▲87歩を打たないで指す(旧)山崎流という指し方が流行りましたが、時代の中心とまではなりませんでした。
さらに時代は下り、青野照市九段が開発したのがいわゆる横歩取り青野流という戦い方。それまで34飛と横歩を取った飛は26まで戻るのが常識でした。
それでは不満と見て、先手番の利を最大限に具体化したのがこの戦法。34飛を動かさないまま攻撃陣を充実させることで、後手が74歩と突くのを牽制しています。
金井ー永瀬(竜王、2013年)が有名局。
青野流は現在でもA級順位戦プレーオフで指されるなど、俎上に上がっています。
【これから】
図は先週指された名人戦第1局。
羽生ー佐藤天(名人戦1、2018年)
この局面で主流の△52玉に代えて、△62玉としたのが名人の工夫でした。
以下実戦は36飛84飛と進みましたが、そこで26飛!が突っ張った手。さらにそこから88角成同銀44角と進展。
ここでもし互いに居玉なら、図以下21飛成88角成同金同飛成に31竜同金33角の王手龍取りで決まります。
(参考図)
以下実戦は激しい攻め合いになりました。
横歩取りは現在も先手と後手の緩みない研究合戦が続いていますが、今回の名人戦の△62玉に対する▲26飛が成立するかどうかのあたりが、定跡の落としどころになるような気がします。
今後この形が指されるかはわかりませんが、今後の歴史を注目して見守りたいところです。
【まとめ】
昭和前期 △23歩と打つ横歩取らせ
昭和後期 互いに飛車先を交換する33角戦法
平成前期 △85飛戦法が後手に加勢
平成後期 青野流で先手に加勢
(元号を記入をしてください)前期 青野流への対策が進化